六畳の享楽

アニメ・ゲームの感想を書いたりするつもりです

『銀河鉄道の夜』が静かに熱い

銀河鉄道の夜』を見た.原作はどれかの文庫の版を既読.ただ,未定稿であることもあってか話が飛んでいる部分があったりしてあまり読みやすくはなかった記憶がある.それに対して映画化ということでひとつの切れ目ない作品に仕立て上げられているというのは結構うれしい.きっと制作にあたって研究も重ねたことだろうから,賢治の意図をうまく汲みながら作っていることだろう.と信じて,原作は読み返さずにこのエントリを書く.原作との違いとか全くわからないので,そこはまあ目を瞑っていただけると本当に幸い.

なんというか,これほどまでに作者の死生観を全面に出した作品ってのは珍しいよなーと感じた.エンターテインメントにテーマを盛り込んだのではなく,テーマのために書いているという印象.そしてそのことをオブラートに包もうという気が一切感じられないことも特徴.鮮烈なまでの眩しい十字架から,初めはこの人はキリスト教徒か何かなのかと思っていたのだけれど,仏教的な(?)認識を示しているようにも見えて,特定の宗教とかはどうでもいいんだろうなという感じがした.*1

そんなようにして,全編を通して空想世界を舞台に時に比喩的,時に直接的に死生観が発せられているわけなのだけれど,それそのものについての賛否はとりあえず置いておきたい.というか,僕の手には余ってよくわからない.そんなわけで,ここではジョバンニとカムパネルラの関係に燃えたことについて書こうと思う.

まずもってプロットが熱い.銀河鉄道での旅路はそのままカムパネルラという友と今際の言葉を交わす機会なわけだけれど,実際にはカムパネルラの死に場所と,ジョバンニの寝落ち場所は離れている.しかしそんな物理的な距離など彼らの間では問題ではなく,精神は最後の時間を共に過ごす.そんな展開に,ロマンを感じずにいられようか.(いや,いられない.)

そして映画は,「(カムパネルラと)どこまでも一緒に行く」事を誓うジョバンニが川原を去るシーンで締めくくられる.カムパネルラは既に死んだわけで,そうなるとここでいう一緒とは有り体に言えば魂のことだろう.ジョバンニは,自身も友のように貴い魂であることでカムパネルラと共にあろうと決意するわけだ.それでも,自己犠牲的な死を礼賛するわけではなく,ミルクを抱えて現実へと戻っていく.このミルクは,これからも人生*2が続いていくこと,ジョバンニが現実をしっかりと掴んで離していないことを表しているように思う.友と共にあるために友の示した道を歩き始めるラストは静かに熱く,前向きで,好きだ.

余談1
鳥捕りの人*3の挿話はよくわからなかった.ので,いろいろ調べたらなんかそれなりに納得した.
http://contest.thinkquest.jp/tqj2002/50133/e/analysis_08.html

余談2
ジョバンニの持つ切符は天上でもどこまででも行ける特別な切符だった.これは,ジョバンニが生者であるということから来る可能性なんだろうなと観ていて思った.思った上で,上記リンク先の文章を読むと,これはジョバンニの魂の未だ折れていない様も表しているのかなと思ったり.

余談3
丘へ至る道の演出が良かった.細く,だんだんと掠れていくような道は,丘という地形や画面内を上昇するということもあって,まるで銀河に続いているかのようにも見えた.銀河ステーションという名前も頷ける.それでいて,街から逃げ出すかのように木々の間を走る映像や,細い道からは疎外感,圧迫感がひしひしと感じられた.

余談4
鳥捕りに飛来する鷺の群れが花びらの柱のようで綺麗だった.

*1:宗教とかちゃんと調べないで適当ぶっこいているので注意.まあ,賢治の宗教的寛容という態度については割と一般的に言われているようなので,大筋はいいんじゃないかな(適当)

*2:猫だが.

*3:猫だが.